特 別 掲 載

名古屋大学加速器質量分析計業績報告書(])

−与那国島海底の第1遺構形成年代に関する調査・研究−
琉球大学理学部 木村政昭教授 他 の調査研究
より抜粋

 

目    次
 神か ! ? 人か ! ? 海底遺跡の秘密
 与那国島海底遺跡調査
  人工物か ? 神の所業か ?
    これは人工建造物だ
    八重山層群
    人工物!?
    地上にも!?
    年代測定してみよう
  いつできたのか?考えてみよう
    2、000年前?
    5、000年前?
    2つの仮説
    仮説@モニュメントは5、000年前以前に形成
    仮説Aモニュメントは5、000年前以降に形成
    仮説Aをサポートする他の事柄
    仮説Aを考えるための水没メカニズム
  そして結論は?
 そして我々ダイバーは?



神か ! ? 人か ! ?  海底遺跡の秘密

 

図1 No.1モニュメント

 

沖縄本島よりも台湾に近い日本最西端の島"与那国"、 古来与那国は"どなん(渡難)"と呼ばれ、黒潮のド真ん中にあるこの島に 渡るのはいかにも困難な事でした。 (現在"どなん"はこの島の名産泡盛にその名を残しています。)

今日ダイバーにとって与那国島は、ハンマーヘッドシャークをはじめ 大物回遊魚たちが集う夢の場所のひとつです。 そしてここ数年、与那国海底にあるいわゆる遺跡ポイントが脚光を 浴びています。人工建造物なのか !? 大自然のなせる業か !? 人工建造物だとしたら、いったい誰が何の為に !?

海外からも著名な学者、研究者、そしてマスコミが与那国に来ています。 "神々の指紋"のグラハム・ハンコック氏、"イルカの友にして素潜り王" 故ジャック・マイヨール氏等もその中の1人でした。



  


与那国海底遺跡調査

琉球大学海底調査団 木村政昭教授の調査  

 


人工物か? 神の所業か?

 

★これは人工建造物だ ! !
1992年1994年の予備検査を経て、1997年から1998年にかけて5回の本格的調査を 行いました。遺跡ポイントには5つの遺跡が確認されています。その中心になるのが 新川沖にある例の海底の丘の事で、第1遺構(No.1モニュメント)と呼ばれています。 (上図1参照)

さて第1モニュメントは、新川沖100m水深25mから立ち上がるピラミッドや城壁にも 似た地形です。東西200m南北150m高さ20mの直線的に伸びる地形や斜面は 形態的には人工物に見えると指摘されています。

 

★八重山層群★
しかしその地形は今から1、700万年前に海底に堆積した八重山層群という やや硬い砂岩、いわゆる自然石が削られて出来ています。自然石が削られて出来た地形は、 自然侵食か人工的かを見分けるのは大変難しい事なのです。

 

★人工物 ! ?
ただしこのNo.1モニュメントの場合、
@ 壁や付近の転籍にクサビを用いた跡
A 周辺にループ道路のようなもの
B 外周に石垣と思われる石組み
というモノを確認してますので「どうやら人工的に造られた」という 見方が強まってきています。

 

★地上にも ?
調査中にNo.1モニュメント最上部人工的部分が海面上に現れている様子に気がつきました。 そこでさらに高い所(陸上)に人の痕跡があるかも、と思い調べたところ この島の景勝地"サンニヌ台"がどうやら人工的のようだと考えました。

サンニヌ台はNo.1モニュメントと同じく八重山層群の砂岩が削られており、その階段状地形と酷似してます。 陸上の対称的な地形はそのまま海中へ続き、テラスや舞台状地形が水深20mまで続くことを確認できますので、 新川沖のNo.1モニュメントと同時期に形成された可能性があります。
陸上のサンニヌ台にて削られた面をさらに詳しく観察すると、たくさんのクサビ跡が確認できましたし、 炉跡と思われる赤く変色し炭化物の付着した四角なへこみを確認出来ました。

サンニヌ台

 

★年代測定してみよう★
サンニヌ台およびNo.1モニュメントで採取したいくつかのサンプルは当社GEO(GEO-SCIENCE-LABORATORY)と 名古屋大学年代測定研究センターで測定され、様々な科学的、地質学的見地に基づいて考察されています。

図2 No.1モニュメント 現在の状態

 


いつできたのか? 考えてみよう

 

★2.000年前 ! ?
NO.1モニュメントが陸上にあった時代は、地殻変動が無かったと考えると氷河性海面変動曲線により、 約8.000年前になります。遺跡の最深部は-25mなのでそこが陸上になるには「水面は30〜40m下だったはず」 と考えられるわけです。
しかし実際に岩盤に付着している石灰岩は水深23mのところで、2.000年前のモノでありました。そうするとNo.1モニュメントは 2.000年より少し前には陸上にあったと考えられます。

 

★5.000年前 ! ?
ところが! より浅い水深18mのところに4.000〜5.000年前の石灰岩の付着を確認できたのです! いったいどちらが正しいのでしょうか? まず5.000年前の石灰岩について考えてみましょう、、、

 

★2つの仮説★
付着している5.000年前の石灰岩について、2つの仮説を立てて比べてみる事にしました。
@モニュメント形成後に付着(モニュメントは5.000年前以前に形成)
Aモニュメント形成前に付着(モニュメントは5.000年前以後に形成)
仮説@Aのどちらが正しいかによってモニュメント自体の形成が「5.000年前以前」か、「以後」か、に分かれます。

 

★仮説@モニュメントは5.000年前以前に形成★
この説は前出「氷河性海面変動曲線」より求めた年代値(8.000年前)に近いですね。 この5.000年石灰岩は砂岩との区別が容易で
@15m以深に分布
A丸みのある非加工岩盤に付着
BNO.1モニュメント周辺の非加工岩盤に付着
と云う事がはっきりしています。

2.000年前以降に地殻変動が無かったとして、モニュメントが地上で形成されたとするならば、 5.000年前以前の海面低下時となりますので、9.000年前に作られたと考えます。
なぜ9.000年前なのかと云いますと、8.000年前以前でなければ海水準変動曲線から大きく外れてしまうからです。

 

図3 5.000年前以前形成されたという仮説


図−3について
A 9.000年以前にモニュメントが形成
B 5.000年以前の縄文海進により、堆積物付着が進行
C 最終的にこうなっているはず

しかし実際には全く違う分布ですね
深度的には南側にもあって良い5.000年前の石灰岩の付着がありません。
・遺跡の南側は潮が速くて付着しなかったとは考えにくい。
・深度的に付着しなかったとも考えにくい。
この説はちょっと違うような気がします。

 

★仮説Aモニュメントは5.000年前以降に形成★
まず、5.000年前以降この地域が陸化するのは地殻変動なしでは考えられません。これが大前提です。

 

図4 5.000年前以降形成されたという仮説

 

図−4について
A 5.000年前の海水準を、5.000年前の石灰岩の付着位置から水深15m付近と考える。
B この頃は縄文海進なので弥生海退で海面が下がる。
  この時にモニュメントが加工されて5.000年前の石灰岩が除去された。
C 従って加工跡のあるところは2.000年前かそれより新しい石灰岩しか付着していない。

この図−4 Cが実際の分布に近いことが判ります。そしてモニュメントが5.000年以前より新しいのなら、 4.000〜2.000年前の陸化時(弥生海退)の形成と考えられます。
  

 

★仮説Aをサポートする他の事柄★
1 ほぼ同じ頃に形成されたと思われる、地上のサンニヌ台の炉跡らしき
  ところに付着していた炭化物が、1.600年ほど前のモノと測定
  されてます。
  この事からもNo.1モニュメントが4.000〜2.000年以前の間
  さらには2.000年前に近い時期での形成だったと思われます。

2 更にこの事は他所の海底遺跡<慶良間・ストーンサークルや沖縄本島・海底鍾乳洞
  などの堆積物や石器・貝塚の貝を測定した結果の「2.000年以前」という年代
  とも一致するのであります

3 そして2.000年より少し前に形成されたのだとすると、この時代には金属器が
  既に使われてますので、クサビの跡や削られた跡も説明し易くなってきます。

 

★仮説Aを考えるための水没メカニズム★
もしNo.1モニュメントが4.000〜2.000年前の形成なら、ヒプシサーマルの海進時に形成され、弥生海退で陸化したのでしょう。 弥生海退で5m海水準が下がったとすると、地殻変動で25m沈んだと云うことになります。

地滑りによって滑り落ちた可能性を考えてみましょう。

その場合海岸の急崖を順動面にしているので、
波が強くて調査は困難です。

参考として石垣島では1771年に津波による海底地滑りが
あった事が確認されつつあり、海底地滑りが起こったとしても
全く不思議ではありません。

沖縄本島では約2.000年前に地殻変動を起こすような大地震があったとされています。
かたやNo.1モニュメントが2.000年で25m変動したとするならば年間1〜2cmの変動という事ですので 本島の海底鍾乳洞や慶良間のストーンサークルもその可能性が強いのであります。

さらに琉球弧そのものが沈水していったスピードを考えてみると、年間2〜3cmぐらいのスピードですので No.1モニュメントの沈水スピードとほぼ同じです。

という事は20.000年前以降の他地域と異なる地殻変動が現在も琉球弧の 一部で継続しているのかも知れません。

 


そして結論は?

 

結論が出るのはまだまだ先の事になりそうです。
調査は始まったばかりなのです。サンプルの数も、仮説の数もまだまだ足りませんが、現在揃っている 年代測定結果と海底調査結果を満足させるにはNo.1モニュメントは4.000〜2.000年前に形成されたと考えると合理的です。 サンニヌ台の炉跡炭化物が1.600年前の人々が使用したモノだとするなら、No.1モニュメントの形成は、2.000年前に近い時期ではないか? と考えてしまいます。

 

 


そして我々ダイバーは?

 

それでは私たちダイバーはこの海底遺跡の研究から何を学び取るべきなのでしょう?

私たちはスクーバダイビングによって海の中を遊べます。ただその事が時として海に害を与えます。 それに気をつけて、今後も海底遺跡を楽しんでいくのが一番なのでしょうね。

海底遺跡が誰の手によって、いつ頃できたのか、今はまだはっきり判りません。 でもこのまま夢として取って置きたいような気もします。

大切なことは、この重要な構造物を、そしてそこから与えてもらう「大いなる夢」を、 次の、そのまた次の世代のために守り続けて行かなければならないという事です。 与那国の海底遺跡に限った事ではありません。

私たちはスクーバダイビングによって海の中を遊べます。
そして私たちは、次の世代に伝えるべき事を守らなければなりません。

もしそうでないのなら、、、近い将来、私たち自身の手によって、 レジャーダイビングを封印しなければならない日が来るかも知れません、、、、、

 

 

終わります


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